王昭

現代日本画に魅せられて-日本留学への道王昭①-

愛新覚羅溥儀と幼少期の王昭

少年時代の甘美で幸福な思い出は、今も私の胸に残っている。

私は、一九五十年、北京で父母が個展を開いた丁度その時生まれた。三,四歳のころの記憶といえば、父と母が夜遅くまで絵を描き、芸術論を闘わせていたことだ。私はいつもその傍らで、制作中の絵に見いっていた。

また、今でも強く印象に残っているのは、知らぬうちに顔料をみ呑み込み、連日吐き続けて病院へ運ばれたことだ。さらに鮮明に心に焼き付いているのは、壁に張ってあった絵に魅せられ、それをどうしても手に入れたくなり大ケガをしたこと。踏み台に登ってハサミで画鋲をはずそうとしたが、絵をとった瞬間、バランスを崩し、鉄が私の眉にささり、顔中、血だらけになって病院に運ばれ、何針も縫った。だが、私はその小画を決して手から放そうとはしなかった。

こうして、絵を命と同等の価値あるものとする、私と絵画の切っても切れない縁が生まれた。

少年時代の私は、目にするもの、耳にするもの何でも絵にするようになった。例えば、動物園へ行き猿を見れば、猿を描く。京劇で「三国志演義」を見れば、すぐに曹操を描く。ある日、北京の街かどで”驢車(ロバのひく馬車)”を見つけ、それにひきつけられた。ロバが歩く時、前と後ろの脚はどのように交差し動くのかを、はっきり見極めるため、郊外まで”驢車”の後ろをつけていった。ところが、帰るとき、道が分からなくなってしまい、親切な人に家まで送ってもらった覚えがある・・・

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