王昭

文革時代-辺地の農村へ追放されるラストエンペラーの甥王昭-

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三鷹市に住む、父親の友人で、甲骨文字の書家・欧陽可亮氏が身元引受人となった。一年間、そこに住み、亜細亜大学留学生別料に入学して日本語を習った。それから東京芸大美術学部日本画教室の平山郁夫教授の研究生に。

上野の芸大に近い、フロなし木造アパートに入った。私費留学生といっても、あまりカネは送ってこない。月に生活費は15万円はかかるから、贅沢はできない。「成田空港に行って、夜寝ないで荷物の運搬をやりました。つらいですけど、十年間きつい労働をやっていますから、体には自信があります。休日は彫刻の粘土をこねる作業をやったり、写真の現像工場に行って働きました」

私費留学生の世話をしている海江田氏はこういうのだ。「王昭君のような文革時代に青春を失った青年たちのことを、”失われた世代”といわれていますが、決して自分を失わなかった人も多い。文革という大きな試練を乗り越えてきた青年たちは、大きく脱皮しています。起伏のはげしい生活を経験していますから、信頼できる人間が多いのです。私は絵はまるで素人ですから、よくわかりませんが、なんとか展覧会を開いてあげたいと友人たちに相談したのです。そうしたら、東京でも一流の吉井画廊に、その話を持ちこんじゃったのです」

作品を見た吉井画廊の吉井長三氏は「まじめな絵ですが、何かもう一つ食い足りなかったですね」と最初の印象を語る。そこで吉井氏が山梨県北巨摩都長坂町に開設した清春芸術村に、この夏、王さんを送り込んだ。自炊しながら、絵を描いてみなさいと激励したのである。

そこで、王さんは必死に絵を描きあげた。抑えていた情熱が一気に噴き出した感じだった。「この絵の六角の建物の一階左側の一〇七号室で、絵を描いたのです。忘れられませんねえ」と写真の絵の前で王さんは目を輝かす。平山郁夫教授をはじめ、吉井長三氏の紹介で、東山魁夷、加山又造氏らも、王さんの絵を見て、感心した。

「村にいたとき、自転車で十五分ぐらいで行くと、スーパーがあるので、いろいろ買ってきてはフライパンで調理しました。絵を描くことがこれほど楽しいとは思いませんでした」

これまでの彼の絵は、どちらかといえば、中国伝来の水墨画の画風が強く流れていた。それが、わずか二か月の生活で、きちんとした規格の正しい構図から、日本画としては珍しい大胆さに飛躍したのである。

 

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