山梨の芸術村での出会い
私が王昭さんに初めてお会いしたのは、武蔵野市民・吉井長三さんの創設した山梨県青春の芸術村であった。王さんは富士山、八ヶ岳、甲斐駒などを眺望する芸術村に身を寄せて、元は過疎地の小学校であった芸術村の見事な桜の老樹や景色を描いていた。その画風には、こだわりのない大らかさがあった。その頃の王さんは東京芸術大学の平山郁夫教授の研究室に中国から単身留学して居られたようだ。
新中国に生まれた王家の血筋
昨年、銀座の吉井画廊で個展を開いたとき、私はそのとてつもなく大きな王さんの世界に驚き、孤高な品性、みずみずしく画面に溢れ、見る者の心をひろげ潤しに行く。「墨は三百年前のものです」と王さんは言った。
王さんは満州国女真族金王朝二十七代の王、王愛蘭を父とし、中国清王朝最後の皇帝愛親覚羅溥儀の妹韞娯を母として終戦後の新中国に生まれ、山村で農民生活をしつつ、絵を描き続けていた。
その後、日本に留学。奥さんとお嬢さんを中国から呼び寄せ、静岡県裾野市に住み、絵を教えて生計をたてながらも創作に励んだ。静岡県立美術館で大々的な個展を開いたりと、その躍進した生活はまさに激動の時代を生きてきた彼の心の強さであろう。
無限の可能性秘めた未来
「毎日毎日、絵を描かない日はない。毎日、毎日、絵が変わる」と王昭さんは語る。毎日、事故の可能性に挑戦し画境を開拓する王昭さん。今回の絵に難をつけるなら、達者すぎることであろう。性急にならず、たぐいまれな才能を大切に日中両国の上に開花してほしい。無限の可能性を秘めた王さんの未来を、多くの人々と共に私も見守っている。
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