この現代日本画は、私にとって非常に魅力あるもので、多くの示唆を与えてくれた。中国画の特徴である毛筆で形どりをする方法―西洋画もラインを描くことから始めるが、画家の興味は輪郭から線が描いたそのものへと移る。つまり、注意は陰影や量感、ぼかしなどへ移り、線の重要性は薄められる。だが、現代の日本画は疑いもなくこうした欧米の画風の影響を受け、しだいに独自の風格をもつにいたったのだ。
現代の中国人画家が追い求める中国画の革新のカギは、まさにここにあるのだ。私は、日本へ留学し、東西の画風を融合した現代画を学びたいと思った。日本画を自分の眼で見、自分自身が制作する―日一日とこの願望は強くなった。
1982年、私の最愛の母親がこの世を去った。悲しみを乗り越え、日本留学を決意し、東京芸術大学平山郁夫研究室入学を目指した。現代日本画を平山郁夫先生らの指導で描いてみた。また休みを利用し、ヨーロッパや日本各地をスケッチ旅行した。私のテーマは、中国水墨画と現代日本画を融合し、新しい画風を作り出すこと。
1983年、各界の友人の協力で、東京銀座の吉井画廊で個展を開くことができ、日本芸術界の多くの先生に接することができた。私はこの個展で、新しい学習の機会を得たばかりでなく、新たな勇気を獲得することができた。
今後の芸術の道は更に長く、さらに遠いこと、しかも私は決して平坦ではなく、曲がりくねっていることを知っている。だが、私はバルザックの次の言葉を励みに生き続けるつもりだ。
「順調な環境で何一つ不自由なく育った人間は、芸術という困難な道を進むことはできない。何故なら、芸術は超人的な勤勉さと不断の努力を、人間に要求するからである。」
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