王昭

現代日本画に魅せられて-日本留学への道王昭③-

王昭と父母

私は、十年の苦しい歳月を送ることによって、人生の路は決して平坦ではないことを悟った。と同時に、この十年の経験が私の性格を研磨し、身体を鍛錬し、生半可な気持ちではなく、一生を芸術の為に捧げることを決意させた。

“四人組”が打倒された直後、鄧穎超女史(周恩来夫人)自身の電話を受け、夢にまで見た北京へ戻れることになった。北京画院に入学し、とても苦しい描画の訓練を受けた。こうして私は職業画家となり、幼いころ思い描いた理想の道が、私の前に繰り広げられるようになった。

中国の水墨画は、悠久の歴史を持ち、中国国有の芸術表現として、絵画の世界では独特の評価を受けてきた。長い間、人々から珍重されてきたこの伝統的技法を、現代人のモチーフに一致させるにはどうすればよいか。長年培われてきた絵画形式で新時代の精神を描くこと、これがまさに現代の多くの中国人画家が求めてきたことであり、研究、探索してきたことなのだ。

1978年、北京で平山郁夫先生の個展が開かれ、その後多くの日本人画家の展覧会が中国で開催されるようになった。私は日本人の絵、とりわけ平山先生の画を見て、非常なショックを受けた。

日本画は中国画と非常に密接な関係を持っている。奈良時代、中国画の技法が日本に伝わって以来、「唐絵」に日本民族の知恵を与え、「大和絵」と発展していった。十三世紀から十六世紀にかけて、宋・元の新しい画風が日本へ伝わると、中国芸術は再度、日本画へ影響を与えた。特に禅宗の僧侶たちは中国へ渡り多くのものを学び、日本の水墨画の発展に大きな力を発揮した。明治維新で封建主義の鎖国体制を打破した後、日本画は更に新しい段階を迎えた。

とりわけ第二次大戦以後、日本は諸外国と文化交流を深め、日本の画家たちは視野を広げた。新しい栄養を吸収し、日本画の画風に新局面を切り開いたのだった。進取の気風で、多くのものを欧米の文化から吸収した日本画の画家たち。彼らは写生、色彩、解剖、透視などの方法を西洋画から学び、実生活と結びついた日本画を創っていった・・・

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